昭和50年03月02日 朝のご理解



 御神訓 一、「信心の道を迷わず失わず 末の末まで教え伝えよ。」

 一番最初に、信心の道を迷わず失わず、末の末まで教え伝えよ。御神訓一つ、信心の道を迷わず失わず、末の末まで教え伝えよ。信心の道を間違いなく、自分の物に先ずはしておかないとそれを伝える事は出来ません。先ずは自分自身が信心の道、先ずは体得が出来けとらなければならん。信心の道勿論神信心と言う事にもですけれども、此処では真心の道と。御教えになって御座います。真心の道所謂信心の道を、しかも迷わず失わず末の末まで教え伝えよと。
 どう言う様な時に迷いが起こるかと。どう言う様な時に失うてしまうのかと。思うて見なければいけない。第一に本当にこの有難いお道を、有難いこの信心を本気で子にも孫にも末々までも、教え伝えねばやまんという心が果たしてあるかどうか、先ずは思うて見なければいけん。先ずはそれ程しのものが、頂けなければ、ね、親は親子供は子供。ね、そん時そん時に、自分達の信じる神様仏様を信じればそれで良い。ね、又は信心を辞めても、信心を致しませんでも良いと。
 そう言う様な例えば愛情と申しますかね、此の子孫に対するもう薄さではとても子孫には伝わりません。真心は伝わりません。自分自身がその信心によって助かり、その信心の間違いない所を、はっきり把握させて頂いておかなければ、是を子にも孫にも伝えて行こうという、心も起こりませんでしょう。只おかげを頂くとか所謂ご利益と言う事であったら、ね、ひょっとしてもっと素晴らしいご利益の頂ける。
 仏様やら神様が現れなさるかもしれん。ね。だからそれでは私はご利益がご利益と感じられなく成った時に、迷いが起こったり失ったりすると思うですね。どうでしょうか皆さん。本当に是を子にも孫にも教え伝えて行けれる、内容を身に付けておるだろうかと。昨日4時の私し御祈念に併せて、田主丸のむつやさん呉服屋さんの、ね、お母さんの帰幽日でした。所謂仏教でいうお立ち日です。田代さんと石井さん姉妹であのう、ご商売なさっておられますからね。同んなじ姉妹で。
 そいでその姉さんの方の田代さちこさんの方の亡くなられて、亡くなられたお日柄でしたので、今日子供達が集まって御霊様にご挨拶をしてくれと言う事で御座いました。終わらして頂いてから、御直会を頂きますとき、その田代さんの言うなら一人息子であります、清さんが東京に行って大学を行って、それからあちらで色々まぁ自分で立って行く計画を、まぁ希望を持っておったのでしょうけれども、まぁ言うならば、あれをしても詰らん。是をしてもいかんと云うじゃなかったでしょうか。
 田主丸の方へ帰っても良いかと言った様な事で、いうならば9月半ばにして、田主丸の方に帰って来ておる。こちらでは従兄弟の信司さんが居りますから、それを心地よくなら受けて、なら一緒に店を手伝う事に致しました。大変無口な人でぼくはものを言う事が嫌いだと言う風に言ってましたが、中々お酒が好きで、お神酒を頂いておりましたら、ぼつぼつ所謂お話をした事が無い清さんが、お話をしだしました。
 そして「親先生、私の母が亡くなりました」まぁ叔母である所の、清さんのお母さんである所の喜世子さん、叔母さん。ね、叔母さんとお母さんと二人で店をしておったが、二人とも早死にだった。しかも言うならばあれ程の信心をしておったのに、死んでしもうたとこう言うのです。「大体あれで良いのですか」とこう言います。ね。「そりゃ、最高のおかげだね」とあたしは申しました。
 死ぬると言う事がおかげでないと言う様な事でない死ぬる。もうそれこそ信心を頂いておって、しかも信心を頂いて死んで行くというならもう最高です。それから自分の妹になりましょうか、姉さん佐枝子さんまぁ此処にお使いに行きよる途中で事故を起こして亡くなりました。ね。まぁ何かの時には参っては来る。ね。けれどももう信心と言う物に、信心によって幸せになろう等と言う様な事はもう、そう言う事は考えていないという感じです。まぁ御霊様が此処にお祭りしてあるから。
 霊祭とかまぁそういうその御霊事にはお参りして来よるけれども、ね、言うならば合楽の金光様に対する信用と言う物は無い様な感じです。母達がああやって亡くなった。しかも後に残っておる者は若い。ね、子供達ばかり。ね。いうならば普通から言うならば、大事な時に大事な人が亡くなった。しかも二人共亡くなった。しかもあれ程まぁ熱心に、まー本当にそりゃあれ程にと云う位に、それこそ熱烈な信心でした。
 特に石井さんの所謂信司くんのおかあさんの喜世子さんなんか、それこそ此処の御造営のでけれる、一番発端を承った人ですそりゃ熱心でした。もう亡くなられる亡くなれる迄、もうあんな姿で参って見えると言う事だけでも、皆んながびっくりすると言う位に熱心でした。ね。ですから子供としてまだどの位の時に来たでしょうか。大学大学生だったでしょうか。ね。信心しよったちゃあげな早死にしたりしかもそのむつ屋の店に取っては大事な、おって貰わなけりゃ出来ない様な人が次々と亡くなって行く。
 先ず妹の方の叔母さん。所謂喜世子さんが亡くなられた。そして今度はお母さんの田代さんが亡くなられた。そしてまた姉妹がしかも合楽に来よってから、途中で事故におうて亡くなった。やっぱり迷いが起こる筈です。芯を失うはずです。けれどもね、けれどもその時点時点、そのどう言う様な事であっても、それがやっぱり、ね、最高のおかげであったと私しがまぁ、申しました事で御座いますけども。
 それにはね信司君でも清君でも、一つようく聞いて貰わなけきゃならん、分かって貰わなければならない事はね、と言うてまー私し話した事です。そこで私はね先ず私自身の事をそういう場合には聞いて貰うんだと。ね。私しも人から、とても大坪さんがおかげ頂きなさらんなら、頂くもんなあるまいと言う位熱烈な信心をさせて貰った。それが言うならば私し共は裸で引き上げて来んならん様な事になってしまったし、同時に帰ってから私しは三人、兄弟の葬式を半年余りの間に出さなければならない様な。
 まぁ不幸せの事が続いた。ね。しかも信心すりゃどうしてあんなに貧乏せんならんだろうか、その時分酒の配給を椛目の方でやってましたけども、その酒の配給も辞めなければならない様に、余儀なくされてしまった。もう生活も言うならば立ち行かん様になった。ね。あの時分に酒の配給をしておれば、まぁどうやら五人、六人の食べて行く事には事か欠かなかった。それが酒屋も出来なくなり、それから兄弟達は次々と亡くなり、もう信心すりゃどうしてあんなに貧乏せんならんだろうかという時代があった。ね。
 それでも私は、あの信心は是一家中の者が、信心は辞めなぁきらじゃった。ね。信心しておっても此の位だから、信心が無かならまぁだどう言う様な事になるかも知れんと言った様な、まぁ漠然とした様な物じゃあるけれども、そう言う物があったのではないでしょうか。ね。例えば弟の戦死にあった時何んかでもそうです。八月十五日が終戦だというのに、七月三十日に戦死しとります。ね。
 もう十五日間生き延びとりゃ、無事な凱旋が出けたのです。ね。そう言う事が矢継ぎ早に、私し共が引き上げて帰って来る、来た頃から難儀な事が次々と起こって行った。ね。それこそもう愕然とするというか、目の前が真っ暗なる様な事が続いても、それでも矢張り家族中の者が集まるのは、お神様がお祀りしとる部屋であり、ご神前であった。お日参りも矢張り毎日続けた。泣き泣き続けた。朝自転車に乗って真っ暗い内に、そのお参りしよると、思わず自転車の上で嗚咽が出て来た。
 涙がこぼれてしようがなかった。さぁそれがどう言う様な事かも知れんけど、やっぱ苦しい時に涙が出るちゅうのですね。まぁ言う普通でいうなら、目も当てられない状態の中でも、信心を言わば迷わず失わず、私し共させて頂いた。そして行く内にです、自分自身が助かると言う事だけじゃなくて、私しの話を聞いて下さる人達が皆んな助かって行かれる様になって来た。例えばね信心しよってどうして弟達が次々と亡くなって、死ななければならないか。
 考えて見れば神様でも、まぁ十五日生き伸ばし下さっとりゃ、此処の難を逃れとったのにと言う様な事ではなくて、ね、それを神様のお取り計らいだとして頂いて来た。だからね此の神様はね、どうしてこう言う事が起こるだろうかと言った様な事が解る様な、浅はかな神様なら大した神様じゃないよって、私し。ね。どんなに考えても分からない事ばっかりなんです。信心を進めて行けば進めて行く程。なら今日私しが皆さんよりも、ね、言うなら数倍高い信心をしておると致しましょうか。
 そんならもう親先生は何もかも解っちゃるかというと、まぁだ解らん事の方が多いのです実際いうと。又それが私し位の者で解る位の事であったから、大した事はないです。信心しよってどうしてそう言う様な事が起こる、起こったか。只それを信心しておっても此の位だから、信心でもなかったらどう言う様な事になっておったか解らんという程度にしか解らんのである。ね。段々私しがおかげを頂いて来て、なら今日の合楽がある。そこでね問題はです。信司郎君でも清君でもです。
 本当に信心によっておかげを頂いた時に、始めて教祖が仰る難はみかげであったと言う事も解るだろうし、ね。成程お母さんがあんなに早死にをした。若死にをした。姉妹達が早よ事故にあって亡くなったと言う事がですおかげを頂いた暁に、初めて解るんだよと言う事を申しました。だから問題はあんた方がおかげを頂かなければ、解らんのだと。ね。だからそれが解りたいならば、本当にあなた方がおかげを頂かなけりゃ、もしおかげを頂かずに此処で迷うたり失うたり、信心ををしておったらです、ね。
 言うならば神様にも力がないごとある。信心したっちゃ詰らん様にある。信心したっちゃあげな事が起こるならと言う事で終わって終わなければならない。教祖様はそう言う所をです、私し共が言うなら迷わなければおられん、疑わなければおられん、失うのも当然だと言う様な時に、私し共がそこを大事にして行く事によってです、おかげを受ける。ね。私の弟達が妹の婿ね、又は私しの弟。ね。
 そん時には目の前が真っ暗に成る様な事があったけれども、もしあれを弟達が生き永らえとったら、今日の合楽は開けていないよと、私しはね。そう言ういうなら難儀を、私し共が今にして思う事は、あれも言わば神愛であったと言う事が解って来た。ね。何十年振りに言わば解る様なものなんだ。ね。一年で解る事もありゃー半年で解る事もある。どうしてじゃろかと言う様な事が十年、二十年三十年経たなければ解らない事もあるのです。だから私しが受けて来た信心。
 私しが受けて来た修業の事、難儀の事を思うて見るが一番良いよ。問題はあんたたちがおかげを受けなければです、言わば神様も当てにはならんと言う様な事にもなろうけれども、あなた達が本当に、信心によっておかげを受けた暁にです、はーお母さんが早死にしたのも、ああいう姉妹が事故におうて亡くなったりした様な事もです、ね、あれも深い大きな神様の働きであり、しかも深い大きな愛の働きであると言う事が解る。おかげ頂かなければ解らないよと言う事であります。そういう信心を私は。
 迷わず失わず末の末まで教え伝えて行ける信心とは、そういう信心だと思うです。信心しておって困った事が起きて来た。信心したけれども自分の思いには一つも成らない。もうそこで迷いを起こすなら起こさねば成らない様な事が起きても、普通では此処で信心を落とす以外には無い様な所に直面してもです、そこを迷わず失わず、信心しておっても是だから、もし信心でも無かったらどう言う事になっておったか解らない。まぁそこに言うならば廻りの自覚と言った様なのも段々出けて来ましょう。ね。
 迷わず失わず頂き続けて初めて私しは、是は私しの事ですけれども、まぁ今日の合楽がある様に、初めて弟達の早死にをした、亡くなったりした事に対する御霊様にでも御礼が言えれる様な心の状態、信心の状態と言う物が出けて来た。だから神様の目からご覧になればです、私し共が難儀というておる、難儀と言った様な者は難儀じゃないね。一人が死ぬの生きるのと言うけれどもです、大きな神様の見地から申しますとです、一切がおかげを頂かせたいと言う、神様の一念以外にはないのだと。
 私し共が解らせて頂く信心を、そういう信心でなからなければ、末の末まで教え伝えて行くと言う事は出来ん。そういう信心を自分が体得させて頂いて、初めてね、信心とは此の様に偉大なものだとしてです、それを子にも孫にも伝えて行けるのじゃないでしょうか。おかげ頂かんなら、また他の仏様やら神様やらば拝もうと言った様な考え方もあるまいけれどもです、迷う人失う人は確かにそう言う所があります。そして成程あんたがおかげ頂ききらじゃった筈だと言う事になります。
 此の位の事で迷うたり、此の位な事で信心を落とし落とす。そう言う事で成程あんたがおかげ頂ききらじゃった筈だと言う事になるのです。そこを頂抜いて初めてです。あれもおかげであった是もおかげであったと言う事が解る。どうしてと言われても、それを最高のおかげとして頂くより、説明するより他に説明の仕様がない。問題はあなた方姉妹が、おかげを受けると言う事によって、おかげを受けた時点で、はーあれもおかげであった。是もおかげであったちう事が解るんだよと言う事であります。ね。
 お互いの心の中に矢張り迷いも起こりましょう。ま、又起こらなければ、ね、次の信心の飛躍がありません。只有り難や勿体無やだけではないのです。信心はそれこそこの頃、信心が解らなくなった。ね。迷いが起こって来た。そう言う所を突き抜けて、初めてその迷いの雲が晴れた時にです、もう次の信心の段階が開けて来るのです。ね。其処ん所を一つ把握させて頂いて、そういう信心を身に付けさせて頂いたらです、末の末までも教え伝えれる、言わば内容のある信心だと言う事が言えると思うですね。
   どうぞ。